それでも山へ(2011年3月) [思うこと]
3月23日(水) くもり 時々 晴れ
寸庭駐車場 ~ 越沢バットレス ~ 大楢峠 ~ 御岳山 ~ 大塚山 ~ 古里 ~ 寸庭駐車場
震災後はじめて山へ向かいました。
福島原発事故の第一報を聞いたとき、なんともいえない暗くそして深い不安に襲われました。
そして自然界に存在しない物質等は大気中、海水に拡散。
あのとき感じた不安は現実のものととなってしまいました。
石原知事が 「これはやっぱり天罰」 という発言をしてひんしゅくをかったという記事を目にしました。
~おごれる人も久しからず~
被災された方に対してということではなく、普通の生活ということに対し慣れ、あぐらをかき、
いつのまにか奢っていた人間に対して下された天罰であるのかもしれません。
いわゆる「普通の生活」は原子力という薄氷の上に成り立っていたのですね。
そのことに対し何の疑問をもつこともなく。。。
私が子供の頃、トイレは汲み取り式。お風呂は薪で焚いていました。
おばあちゃんちのトイレは渡り廊下のまだその先。 子供には遠くて暗くて怖い場所。
夜トイレに行くには勇気が必要でした。
下に落ちないようこわごわと便器をまたぎ、座った目の前に手のひらサイズの足長蜘蛛がいました。
下からは人の手が出てくるような気がして、便器の下は絶対覗けません。
でも夏になると底のほうに何かが動く気配がありました。
お風呂は毎日ではなく2~3日に1回。
おばあちゃんちは五右衛門風呂で、サイドの鉄に背中が当らないよう緊張して入った記憶があります。
外でおばあちゃんが薪をくべてくれていて、「おばあちゃん、熱い~~!」と叫んでました。
これはほんの40数年前のこと。
いまやトイレはお尻を洗い、乾燥までしてくれる。
お風呂は全自動でお湯をはり、温度管理まで可能。
トイレとお風呂だけでもこれだけの著しい変化、
これらにどれだけのエネルギーが必要なのか考えることもなく、これが「普通の生活」なのだと思っていました。
神様いつもお願い事ばかりで申し訳ありません。
震災で被災された方の傷が一日も早く癒えますように。
原発事故が一刻も早く終息に向かいますように。
日本が世界が平和でありますように。
被災地で復興活動にかかわっている方々、
福島第一原発にて今も現場で命がけの作業をされている方々には心から敬意を表します。
本当にありがとうございます。
山はいつもと同じように私達を迎えてくれました。
しかし一見何の変化もないように見える空気は以前のそれとは異質なものとなってしまった。
いやそうしてしまったのだ。
もし今後更に大気が異質なものに変わっていったとしても。。。
それでも山に向かうだろう。
そして今の自分にできることを考え日々過ごしていこう。
明るい未来を信じよう。
寸庭駐車場 ~ 越沢バットレス ~ 大楢峠 ~ 御岳山 ~ 大塚山 ~ 古里 ~ 寸庭駐車場
震災後はじめて山へ向かいました。
福島原発事故の第一報を聞いたとき、なんともいえない暗くそして深い不安に襲われました。
そして自然界に存在しない物質等は大気中、海水に拡散。
あのとき感じた不安は現実のものととなってしまいました。
石原知事が 「これはやっぱり天罰」 という発言をしてひんしゅくをかったという記事を目にしました。
~おごれる人も久しからず~
被災された方に対してということではなく、普通の生活ということに対し慣れ、あぐらをかき、
いつのまにか奢っていた人間に対して下された天罰であるのかもしれません。
いわゆる「普通の生活」は原子力という薄氷の上に成り立っていたのですね。
そのことに対し何の疑問をもつこともなく。。。
私が子供の頃、トイレは汲み取り式。お風呂は薪で焚いていました。
おばあちゃんちのトイレは渡り廊下のまだその先。 子供には遠くて暗くて怖い場所。
夜トイレに行くには勇気が必要でした。
下に落ちないようこわごわと便器をまたぎ、座った目の前に手のひらサイズの足長蜘蛛がいました。
下からは人の手が出てくるような気がして、便器の下は絶対覗けません。
でも夏になると底のほうに何かが動く気配がありました。
お風呂は毎日ではなく2~3日に1回。
おばあちゃんちは五右衛門風呂で、サイドの鉄に背中が当らないよう緊張して入った記憶があります。
外でおばあちゃんが薪をくべてくれていて、「おばあちゃん、熱い~~!」と叫んでました。
これはほんの40数年前のこと。
いまやトイレはお尻を洗い、乾燥までしてくれる。
お風呂は全自動でお湯をはり、温度管理まで可能。
トイレとお風呂だけでもこれだけの著しい変化、
これらにどれだけのエネルギーが必要なのか考えることもなく、これが「普通の生活」なのだと思っていました。
神様いつもお願い事ばかりで申し訳ありません。
震災で被災された方の傷が一日も早く癒えますように。
原発事故が一刻も早く終息に向かいますように。
日本が世界が平和でありますように。
被災地で復興活動にかかわっている方々、
福島第一原発にて今も現場で命がけの作業をされている方々には心から敬意を表します。
本当にありがとうございます。
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山はいつもと同じように私達を迎えてくれました。
しかし一見何の変化もないように見える空気は以前のそれとは異質なものとなってしまった。
いやそうしてしまったのだ。
もし今後更に大気が異質なものに変わっていったとしても。。。
それでも山に向かうだろう。
そして今の自分にできることを考え日々過ごしていこう。
明るい未来を信じよう。
卒業式(2011年3月15日) [思うこと]
3月15日(火)
今日は長女の大学卒業式の予定でした。
学生として最後の卒業式がこんなかたちで中止になるなんて想像もしておりませんでした。
娘も、「こんな状況では仕方がないよ。」と納得しておりました。
昨日は家族全員が一日家に揃っていたので、家族で娘の卒業を祝いました。
(こんな時にお祝い事というのも憚られますが、身内のささやかな祝い事にてお許しください)
今回の地震にも耐えたワイン。
地震の際、1メートル以上の高さの場所から床に転がり落ちていましたが、割れていませんでした。
日本が今回の試練を乗り越えられるよう願いを込めていただきました。
今日から計画停電も本格的に実施されそうです。
これはおとといの夜、計画停電が発表された際、娘達が調べてくれた時間とグループ。
私達の町は第2グループと第4グループに分かれており、
今日になるまで自分達の属するグループがはっきりしませんでした。
しかし私が早朝に確認したものと、10時過ぎて確認したものとではグループが相違していたので、
実際に停電が実施されるまではっきりしないままになりそうです。
通電している間も出来る限り節電に努めています。
ほんの少しでも被災地の方々のお役に立てればと思います。
明るい未来を信じて!
PC利用も控えております。
皆さまへのご訪問遅れます。ご了承くださいませ。
※3月17日追記 : 本日私達の住む地域では東京電力による計画停電地域の見直しがあったそうです。
それにより、ようやく自分の住む地域の計画停電グループが確定しました。
我が家はグループ2。 今回の見直しで、隣接している液状化が酷い地域や断水が
続いている地域は計画停電から外されたようです。
一日数時間の停電なんてへっちゃらです!
毎日10F自宅への階段を登り降りしていたトレーニングが役立ってます(笑)
ソネットポイントによる「東北地方太平洋沖地震義援金」
http://blog-wn.blog.so-net.ne.jp/2011-03-14-1
今日は長女の大学卒業式の予定でした。
学生として最後の卒業式がこんなかたちで中止になるなんて想像もしておりませんでした。
娘も、「こんな状況では仕方がないよ。」と納得しておりました。
昨日は家族全員が一日家に揃っていたので、家族で娘の卒業を祝いました。
(こんな時にお祝い事というのも憚られますが、身内のささやかな祝い事にてお許しください)
今回の地震にも耐えたワイン。
地震の際、1メートル以上の高さの場所から床に転がり落ちていましたが、割れていませんでした。
日本が今回の試練を乗り越えられるよう願いを込めていただきました。
今日から計画停電も本格的に実施されそうです。
これはおとといの夜、計画停電が発表された際、娘達が調べてくれた時間とグループ。
私達の町は第2グループと第4グループに分かれており、
今日になるまで自分達の属するグループがはっきりしませんでした。
しかし私が早朝に確認したものと、10時過ぎて確認したものとではグループが相違していたので、
実際に停電が実施されるまではっきりしないままになりそうです。
通電している間も出来る限り節電に努めています。
ほんの少しでも被災地の方々のお役に立てればと思います。
明るい未来を信じて!
PC利用も控えております。
皆さまへのご訪問遅れます。ご了承くださいませ。
※3月17日追記 : 本日私達の住む地域では東京電力による計画停電地域の見直しがあったそうです。
それにより、ようやく自分の住む地域の計画停電グループが確定しました。
我が家はグループ2。 今回の見直しで、隣接している液状化が酷い地域や断水が
続いている地域は計画停電から外されたようです。
一日数時間の停電なんてへっちゃらです!
毎日10F自宅への階段を登り降りしていたトレーニングが役立ってます(笑)
ソネットポイントによる「東北地方太平洋沖地震義援金」
http://blog-wn.blog.so-net.ne.jp/2011-03-14-1